思考から抜けるってどういうこと?No.1
2025/01/19
こんにちは!
久しぶりの書き物になります。ここは自分自身との対話のような場所で必要な人にだけ届くようにしておきます。このメッセージに辿り着いたあなたはきっと私と同じ周波数を持った魂の方でしょう。
ここまで読んで何か違うな、と思った方はきっとこのメッセージを閉じるでしょう。
とっても気軽な気楽なお話でもあります。始まり方がなんだか重そうで怖そうで怪しそうだったかもしれないけれどね。
覚醒って聞いてどんな風に感じますか?
今日はそのことについて今の私が感じている、腑に落ちている領域までを書いていこうと思います。
私は物心ついた頃から「本当のことが知りがい」という感情とともに生きてきました、とはいえ、何かこの世を憂いたり疑っているわけでもなく、純粋な気持ちでただ「ほんとうのことがしりたい」です。至って天真爛漫で能天気な子供時代の私でしたが心の奥では周りにいる大人や子供の感情を無意識に読み取っていて、それに合わせるように、期待に応えるようにすることでこの世とうまく付き合ってきたような気がします。
ほとんどの子供はそうかな?大人の顔色を伺っている子供はそうだろうな。本当はお気楽な何も心配していなくて目標も生きる意味設定も何もなくても全然平気で幸せなのに、そうあるのはダメっていう雰囲気を社会に読み取っていて、あたかも自分も目標や生きる意味を大切にしていますよーって装っているようなそんな感じです。
今まで、本気で目標を立てたことは一度もありません。ただ、その時、その時に流されて、それで何となくいい感じにやってきました。
それでいい、って何となーく思っていたんですが。最近は実はそれがいい、それが良かったんだ、って気づいています。
なぜなら、目標は思考の世界で未来に期待することです、今じゃない。今、感じていること、今起きていること、それが全てでそれだけで十分幸せ、と魂の私はわかっています。何もなくても至福。何にもならなくていい。
その魂意識の私は5次元の意識でしょうね。
「ほんとうのことがしりたい」はこの5次元の魂意識と3次元の思考と肉体の意識との違いを腑に落とすことのような気がします。
5次元では至福しかありませんが、3次元では肉体や思考が存在するのでそれを使って遊ぶ楽しみがあります。
と、覚醒とはこの違いが感覚でわかる、というのか、腑に落ちていることを指すんだと思います、悟り、とかもそうですね。
さて。今日はここまでにしましょう。もし、ここまで読んでくださったあなたは今世で目覚めを体験したい魂なのでは?よろしければご一緒に、目覚めながら3次元で体験を楽しみましょう。